RSS

月別アーカイブ: 1月 2013

桜宮高生徒の自殺問題についての雑感

桜宮高生徒の自殺問題で橋下市長や教育委員会やヤンキー先生(苦笑)がゴチャゴチャ言ってるが高校へのスクールカウンセラー派遣の話しが一向に出てこないのが不思議でしょうがない(検索したが出てこない)。誰も生徒の事は考えてない。それとも体育科の生徒にカウンセラーは必要ないと思ってる?

顧問・体育科の教頭・校長・教育委員会・市長の誰も懲罰や責任とってないよな。

橋下市長はいち早く教育委員会に喧嘩ふっかけてたけど、この事件発生よりまえに全公立校の校長を民間出身にするって表明してたけど、これを足がかりにするのかな。

これで政治家からの教育行政への介入は(のちのちには)議論すべき問題。橋下市長の教育に関する介入をやめさせたり意見を変更させるには誰かが自殺するか次の選挙で落選させないといけない、という理不尽さ。

橋下市長はツイッターで自分の考えを表明するのは構わないのだが、自分の意見に反対するマスコミ批判に続き、更に「ならお前がやってみろ」「代案を出せ」でツイートが終わるのが残念。ツイッターの使い方としては平均点以上だが。しかし「大きな流れを作るのは政治家の仕事」と言ってるのだから自分の仕事の放棄してるのと同じだ。

「私に上がってる情報では~」と情報が不均衡なのに同じレベルで対案を出せとは、それこそ「民間では考えられない」だが。教育は違う・個人情報etcという理由ならそう宣言しないと。

ホントに大阪市民は橋下市長にグレートリセットを期待するほど不満があるのだろうと察するが国政に出てこられる以上は大阪市民以外も批判しないとこちらも怪我をすることになる。

 
コメントする

投稿者: : 2013/01/25 投稿先 Twitter

 

18年前を思い出してみる。

18年前、当時20歳で京都の下宿に居た。であの地震が発生した。たまたま起きていた。地震の揺れで家具を抑えたのは初めてだった。地震がおさまって下宿していた全員が廊下に出てお互いの安全を確かめた。その中の1人(茨城出身)の先輩が「震度4ぐらいかな」と言ってそれぞれの部屋に戻った。すぐにラジオを聞いたが死傷者情報は殆ど流れてなかった。安心して寝た。が起きてラジオを聞いたら死傷者は2桁になっていた。

地震翌日、不謹慎ながら同じ下宿の仲間たちとカラオケに行った。今考えれば一緒に行った子は三田市の出身だった。何か不安だったのかもしれない。通信カラオケで曲が全く出てこなかった。それで通信がパンクしてる事が推測できた。1時間でカラオケを終えた。学校に行き普段通りの生活を送ったがちょっと安心した。その後西宮出身の実家の子が被災したらしいがその子と仲が良くなかったので何もしなかった。

その後機会があり芦屋にボランティアへ行った。阪神電車は満員だった。降りてアスファルトのひび割れでことの大きさを段々実感できた。

ボランティアのコーディネートから「避難所を廻って足りない物資の聞き取りをしてくれ」と言われ同行した先輩と一緒に避難所を廻った。避難所に行く途中で家屋の倒壊を見て尋常じゃないなとわかった。その途中「そこの子、荷下ろしを手伝え!」と知らないボランティアに言われ手伝った。

それが終わり海沿いの避難所に行って足りない物資を尋ねると親切な方から話を聞けた。「何もかも足りない」。特にタバコやコーヒーなどの嗜好品が足りないと言われハっとした。素人考えで愚痴でも話してそれで何か役に立つなら・・・と思い30分くらい聞いた。

しかし海側から山側に行くにつれて足りないものが減っていった。最後に行った高級住宅街の中にある避難所では上品そうな奥さんは漫才風の口調で「お金が欲しい」「あんた持ってるやないないの」と言われた後「こっちは足りてるから下の人たちに配ってあげて」と言われた。道路にヒビは入ってなかった。

こんなときでも金持ちって余裕があるのか・・・と衝撃を受けた。今でも「世の中お金じゃない」と思っているがこの時は考えてしまった。今でもその時の風景を思い出す。帰りの道中、一緒に聞き取りに行った先輩と会話出来ず黙り込んでしまった。疲れてしまったのもあったと思うが。

4月になり学校に戻り、神戸市北区出身の友人に話を聞くと彼自身は無事だったが「中学・高校の同級生の数人が死んだ」と聞いた。その後下級生が入学してきた。出身地が「神戸」と聞く度に「大丈夫だった?」と聞いてしまった。数人は無事だったが1人は被災したがどうしても大学に入学したいという気持ちもあり、家族ごと京都に引っ越してきた、との話を聞いた。

その後、神戸市須磨区に自宅がある別の後輩が住んでいたというマンションを見たが「自分が住んでいたマンション以外の近所にあるアパートやマンションは住めなくなった」と聞いた。

後に関西出身の子と話しを聞くと関西にはあまり地震が少なく、ちょっとした揺れでも凄く驚いてしまうと聞いた。愛知から来た私には考えられないぐらいだった。

その後時が経ち実家の愛知に戻り、10代の子にその当時の話をしたらポカンとされた。彼はニュース映像でしか知らないらしい。当たり前の事。その1年後東北大震災があった。

自分の精神障害もあってTVの映像を見ないようにした。精神的に不安定になることは予想できたから。情報は主にラジオか新聞から得た。小銭を募金するのが精一杯だ。当時も今も何も出来ないことは変わりない。病や生活が困難ということもあり自分自身で精一杯。それも金銭問題は逼迫している。当然それは別の話。

そのあと10年以上経ったあと、神戸に行く用事があったので中華街に近い訪問先で聞いた所、その辺りも被災が大きかったようで家賃などがかなり下がっているらしい。まだ震災はあるのかと想像した。

ニュースで神戸ルミナリエのニュースが流れ、観光地っぽい扱われ方で報じられると複雑な気分になる。

黙祷。

 
コメントする

投稿者: : 2013/01/17 投稿先 震災・原発

 
 
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。