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1993年の女子プロレス(書評っぽいもの)

30 11月

1993年の女子プロレス
紙質のせいか妙に分厚い、勿論内容が濃いというのも理由だ。

全日本女子プロレス経営人の壊れっぷり、プロレスラー同士の嫉妬、プロレスの領域をはみ出るガチぶり。

どれをとっても異常だったことが良く判る。

クラッシュギャルズ・ライオネス飛鳥・長与千種に憧れて入門した世代が、先輩を抜くため・見世物と見られないため、格闘技の宝塚と見られたくない、という欲求から、格闘技思考や危険なプロレス、言い変えれば過激なプロレスを目指す。
ブル中野や北斗晶の登場。金網デスマッチのトップからのトペコン。これにより男性にもアピールするようになる。団体対抗戦が更に火をつける。

しかしながら余りの過激なプロレスにより男性客は増えたが、女性のファンが減っていく。その流れで女子プロレスラーになりたい、と思う人が減ることになった。

ブル中野・北斗晶など大物レスラーの引退によりレスラーの数が減っていき、全女が倒産。プロレス界全体の不況もあり、団体の乱立。今は地方興行を打つこと自体が難しくなる。

著者はこのような栄枯盛衰をヘーゲルの言葉から引用して、

「ミネルバの梟は黄昏に飛び込たつ」

と表現している。

数多くの女子プロレスラーへのインタビューを行ったが、北斗晶はインタビューの採録の許可が下りなかったため、著者の文章を代載しているが、女子プロレスの歴史を俯瞰するような文章になっており、そんなに熱心に追っかけていなかった私にはわかりやすい文章だった。巻末には女子プロレスの起源に始まり2011年までの詳細な年表があるが、この著者の文章を先に読んだほうがより理解しやすい。

同じ著者の「完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)」でも素晴らしいノンフィクションだった。こういったノンフィクションが増えることをもっと読みたい。
完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

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投稿者: : 2011/11/30 投稿先

 

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