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日別アーカイブ: 2011/11/28

談志の死去と米朝の哀しみ、そして老い。

11/23に立川談志死去の報を聞いた。
翌日のTV、ラジオ、新聞では「追悼をお祈りします」フィーバー状態。
私自信もこんなにショックを受けるとは思ってもいなかった。

その中で注目したのは桂米朝のコメント(11/24の中日新聞より)

惜しい噺家を無くしました。いろいろと世間に物議を醸したことがあったが、”無茶”を演じていていたような気がする。
ああ見えても、神経の細かいところがある。
最後に会うたんは昨年の秋。
私の家に来てくれて、ひたすら昔話を始めた。こないに昔のことを覚えている男もちょっといてないんと違うかな。
落語界に大きな旋風を巻き起こした談志がおらんようになってしもたんですなぁ。
こない早う死ぬやったら、もっといろいろと話しておきたいことがあったのに・・・
なんや心に穴が開いたようです。

枝雀に先立たれ、吉長に先立たれ、小さんに先立たれ・・・

談志も著作の中で「上方噺家で一番気が合うのは米朝さん」

といっていた位。

(ちなみに仁鶴は「落語はうまいが気が合わない、と言っている。)
長生きもこうなったらある種の不幸だ。
その3日に、偶々ブックオフで買った
en-taxi No.16 (WINTER 2007) (ODAIBA MOOK)

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をパラパラめくっていたら、
「誰も知らない小さんと談志
    小さん、米朝  一  二人の人間国宝」立川談春にて(作者である立川談春)に加えて立川談志・柳家小さん、柳家花緑・桂米朝・桂小米朝(現桂米團次)が絡んだ話を書いていてビックリした。偶然だったから。

時期は立川志らくが真打ち昇進後の立川談春である。
立川談春が真打ち独演会に米朝の持ちネタである「除夜の雪」をするにあたって米朝に稽古をつけて貰う。
またその独演会のゲストに柳家小さんを呼ぼうと苦労するという話。
(当然小さんは談志の師匠でその後立川流を創設、以後交わることは無い。)
この話自体すごく面白いが、全部は省く。
その中のの一節、

談志がプレイヤーとして体力、気力が充実している頃は何の問題も無かった。ホームランぐらい簡単さ、と口笛ふきながらカッ飛ばして帰ってくれば、それで済んだ。どんな種類のファンも黙らせる、さすがと唸らせる実技があった。談志も安定できた。だが体力の低下で打球がフェンス際でおじぎするようになると、談志自身つらくなるだろう。談志が教育して作り上げた観客は三振に1点やれと思っている人達は、それが野球の醍醐味なんだと信じている人達は談志の老いを許せない。談志に質を量を求めてくる。

落語界のミスターも傷ついている。
しかしミスターを取り巻く状況はオリンピックの総監督に納まるミスターすら許さない。次のオリンピックでも四番を打つことを求めている。
誰もミスターを救えない。
体力、気力の限界で戦っている談志に談春が甘ったれた想いをぶつけることはできない。

ちょっと老いの”しんどさ”がわかったような気がした。まだ老いを実感する歳ではないのだが。

2015/3/20追記:

米朝と談志のエピソードに関しては、こちらの本も詳しい。

ユリイカ2012年2月号 特集=立川談志

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投稿者: : 2011/11/28 投稿先 芸能, NEWS

 
 
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